建築家の室伏次郎さんは師です。
ぼくの自宅にもその憧れへの表現がたくさん建築化しています。
師のことを書かれた、
安田さんのエッセイを読んで
久しぶりに師の建築のことを思いだしたり、新たに発見したりした。
以下、その全文です
室伏さんのお宅
「北嶺町の家」見に行く。
建築家の室伏さんはとても気さくな人で、年齢や身分の違いにあまり態度を変え無い。
例えばどこかの市長さんであろうと、学生であろうといつもフラットに接している。
今日、取材で室伏さんの自宅を見せてもらった。(勿論ご本人の設計)
明るく、気さくに迎え入れてくれた住宅には、
ご自身と同じように年齢を重ねた家具や絵画や小物が数多く並んでいた。
特別整理している訳でもなく、コーディネートされた家具が並んでいる訳でもないのだけれど
(むしろ雑多に並んでいるけれど)そこには調和(ハーモニー)があった。
話は飛ぶけれど、オリンピックの陸上競技を見ていた時、思わず目を奪われた瞬間があった。
最後ゴールに飛び込む時、白人も黒人も黄色人もみんなが一緒になって競っている姿がとても美しかった。
そこには、富も貧しいも、国籍も、体の色の違いも無い。
人種や体の色の違いを全て認めた上で、一緒にゴールを目指す姿がとても美しかった。
上手く説明出来ないけれど、室伏さんや、室伏さんのご自宅に感じた清々しい気分は、どこかそれに似ていた。
ぼくも何度かお邪魔したことのある、師の自邸「北嶺町の家」。
タフでシンプルなコンクリートの建築。心地よいアノニマス・デザイン。どこかでみたような、
ノスタルジックな空間の中に、徹底したリアリズムを具現化した場。
ほとんどワンルームな構成なのに、豊かな奥行きある空間がそこにはあった。
闇にさしこむ、開口部からの光が印象深い。
師はよくいっていた「建築を全て外部にしたい」。
タイに長く住んだ経験から、その心地よさを知っているから。屋根だけがありいつも風がぬけ、も光にあふれた空間。
人にとって必要な清々しさをもちあわせた、ずっと信頼できる生活のための器。
ああ、久しぶりにあの濃密なコンクリートの塊の中に入りたいなと思った。
